ラポちゃん

もう、かれこれ月をまたいでしまいましたがご報告があります。
自分と向き合うのが怖くて書けなかったブログ。。。。
10月14日深夜
私は、固く冷たくなったラポを抱き上げ私の掛布団の上の足元に寝かせた。
相変わらず重い。足元にラポの重さを感じる。
4キロほどの重さが私の下半身の自由を奪う。
いつも掛け布団の上に乗るやっかいものだった。
いつもは、そっと足の位置を変えてみるのだが、もう動かないラポに遠慮はいらない。いつもなら。不満げに『にゃー』と言ってどこかに行ってしまうのだが、その日は動けない。
ラポちゃんは死んでしまったのです。
時間はさかのぼります。
10月9日木曜日。
仕事を終えて、スーパーに向かう、スーパーを出るころには、外は真っ暗だった。日が沈むのが早いねと思いつつ帰宅した。
夕方から夜、いつもラポは帰ってきてご飯を食べる。
その日は、帰って来なかった。
でもそんな日もあるのよ、夜中1時、3時、まだ帰って来ない。
そんな日もあるのよ。でも「ラポー」と外に向かって叫ぶ。
外に探しに行くも見つからない。
でもそんな日もあるよ。翌朝、朝ごはんになっても帰って来ない。
でもそんな日もあるのよ。昼すぎ、まだ帰って来ない。これは変じゃない?20時間見かけていない、、、、、どこかの家にお世話になってるのかな?
警察に行ったり、見かけたという町内を探しに行ったりしてポスターを張る。13日午後,次女が田無署に電話して猫の死亡事故にいてきいたら、
「神宝町で猫の事故 回収」との情報を得る。それうちの町やん。
情報
9日(木)の夜8時ころに、なにか動物の遺体を新聞紙にくるんで持っていく警察の人を見た。(ジョギング中の男性)
9日(木)の夜7時ころ、猫の死体を見た。(犬の散歩の男性)
これ、完全ラポちゃんやん。
それらの情報は、大通りからうちの路地にはいる三角植え込みのとこに死んでたらしい。
完全、アウトやん。娘たちは泣き叫ぶ。私は、富士山噴火とかの災害とかよりも最も恐れていたことが現実となる。個人的な災害やん。こんな事起こるんやー。
10月14日火曜日
3連休もあって、なかなか進まないけども、ラポちゃんは、柳生園というゴミ処理場に安置されてるらしい。田無署からそこに向かう。いざこざがあり見せてもらえないかもやったかもやったけども、めっちゃ押したら安置所(冷蔵庫)に案内されて、そこには『神宝町 猫』と書いてある段ボールがあった。その箱を手に取り、中には新聞紙にくるまれた物体があった。情報どおりじゃん!新聞紙をめくるとそこには、キジトラの猫、
ラポがいた。
「ラポーーーーーーー!」発狂する娘と私。
そして、連れて帰って祭壇を作った。
お通夜を行った。なんか。なんか。なんか。
近所の人とか娘の友達とかお客さんとか来てくれた。
10月15日(水)
ラポちゃんは荼毘に付されました。
小さな骨。
なんで?死んだん?川越で段ボールに入れて捨てられてた子。

ラポはネズミを捕ったり鳥を捕ったり、畑を走り回ったり、梅の木に登ったり、自由に生きていたので仕方ないよね。
この後、不思議なことがあったのを書くね。
何件もの情報があったのですが、
死亡時刻 10月9日(木) 午後6時ころ
と思われます。亡くなってわりとすぐに、警察に回収されたようです。
それなのに、『木曜日の朝、小4の子供二人が登校時に猫の遺体をみた。』
という情報が寄せられました。死んでいた場所も猫の模様も一緒です。
あまり血は出ていなかった。というのも一緒です。
これ、どういう事?パラレル?幽霊みたいなもの?
この時間はラポは生きていて、家にいました。なんで?
子供たちは、きっと未来を見たのでしょうね。
もう、朝には、ラポちゃんは死んじゃうって決まっていたのね。
そして、ラポは北海道のエミ―さんとの瞑想中に出てきてくれました。
『しゃべりたかった、しゃべりたかった。』と言ってきてくれました。
うるさいくらいなにか、しゃべっていました。
『遊びたかったから、道を渡ったの。』と言っていました。
『轢いた車には魔がついていたので、死んでしまった』
とも言っていました。話せたので心もいくらか落ち着きました。![]()
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今日で一か月です。
ラポをかわいがってくださったみなさん、ありがとうございました。
そして、大好きなラポちゃん、死ぬときは一緒だよ。と約束していたのに、
遊びすぎて、うまく道渡れなくて死んじゃったね。
ほんと、ばかばかばか!
次女の友達の沖縄のユタに見てもらうと、
ラポちゃんは猫の友達の霊を連れて帰ってきてるそうです。
ラポちゃんありがとう💗

